本質が分からず平等教育を進めるから子どもも社会もダメになる

最近よく思うのですが、教育関係者と話すと、“平等”についての思慮が浅い人が多い。
さすがに「運動会かけっこのゴールをみんな一緒に!!」というのは聞かなくなりましたが、「どんな相手にも平等に接するべき」「どんな人も平等に権利を持っている」という思想は根強いようです。
しかも、そういう人に限って「個性が大事だ!!」なんて言ったりする。
大学の授業は教育評論家の言葉を鵜のみにし、そこにある矛盾に気がつかない。
矛盾に気づいた人は「いや、機会の平等だ」とケースごとに名前をつけていく。
確かに、平等教育によって男女の雇用格差が減ったという良い面もありますが、本質を外れた平等教育の害が大きすぎるので、“平等”について改めて紹介しようと思います。

平等とは

平等とは何か。
改めて説明しようと思うとなかなか難しい。
試しにグーグルで調べてみると、こんな言葉で説明されています。

【平等】
差別がなくみな一様に等しいこと

デジタル大辞泉では、次のように書かれています。

【平等】
かたよりや差別がなく、みな等しいこと

平等の意味については、ほとんどの人が考えていた通りの内容だと思います。
では、次に「みんな平等」という考え方のもととなっている言葉をチェックしたいと思います。

・フランス人権宣言
「人は生まれながらにして自由かつ平等の権利を有する」・世界人権宣言 第一条
「全ての人間は生まれながらにして自由であり、尊厳と権利について平等である」・日本国憲法第14条
「すべての国民は、法の下に平等であって人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」

さて。
多くの先生はこの文章を上辺だけなんとなく読んで、「みな一様に等しく扱い、扱われるべきだ」なんて考えてしまいます。
そして、子どもの持つ特性や差異を無視して、無理矢理平等を目指してしまいます。
それぞれの言葉の背景や、ニュアンスについては機会があればまた解説しますが、正直、そんな単純な考え方ではありません。
平等とは本来どういうものか?
一つ一つ問題に沿って見ていきましょう。

Q,飛行機のエコノミークラスとビジネスクラスとファーストクラスでは、平等のおもてなしをするべきか。

この問題。
ほとんどの人は差をつけるべきだと答えます。
ファーストクラスとエコノミークラスが同じ待遇では誰もファーストクラスになんて乗りませんし、高いお金を払うのだからそれなりのサービスがあって当然と考えます。
また、仮にエコノミークラスに乗って苦痛を感じたとしても、ここで”平等”を主張する人はいないでしょう。
このことについて、あえて名前をつけるなら「お金の前に平等」という考え方でしょうか。

Q,あなたは安部総理と近所のおじさんを平等に扱うべきか?

実はコレ。
平等教育を受けている人の中には、「同じ人間だから平等に扱うべき」と考える人が大勢います。
「お金の前に平等」の価値観は受け入れられても、「相手が積み重ねてきた努力の前に平等」という考え方は受け入れられない人がいるのです。

安部総理は今まで多大な努力をして、現在も日本のために頑張っている。
一方、近所のおじさんは努力もあまりせず、毎日を淡々と生活している。

そんな2人に同じような言葉遣いで同じように接するというのは変だと思いませんか??
誰でも平等に扱うという考え方は、相手に対する敬意を欠いた行動でもあるのです。

Q,選挙権は平等に一人一票で良いのか?

これも上の質問と同じ。
現在、日本の法律では一人一票の投票権が与えられています。
でも、毎日何時間も、政治や海外情勢、経済などをチェックして日本のことを考えている人と、選挙前に30分調べるだけの人が同じ一票というのはおかしいと思いませんか?
これだけ複雑な世の中なのに、たった30分で判断材料を揃えて考えるなんて不可能です。
なのに、その人にも平等に選挙権を与えるのですか?
これは、主権者と平等についての変な考え方が浸透してしまったことに起因する日本の大きな問題です。

Q.職場では男性と女性は平等に扱うべきか?

男性と女性の職場での待遇に差がありすぎるということで、男女共同参画社会などの法律ができました。
これによって、女性の待遇は大きく改善したので喜ばしいことですが、これには別の問題も含みます。

「女性の待遇を改善する代わりに、男性と同じように働け」というのです。
これは、平等の考え方からすれば当然のことだと思います。
しかし、本来、男性と女性では性差があります(個人差がこれを埋めることもある)
男性には生理はないし、出産で長期休暇を取ることもありません。また、比較的に論理的に考え仕事に感情を持ち込みにくい傾向があります。
逆に女性はコミュニケーションに長けている人が多く、感情に訴えるマーケティングなどに強い人が多いです。
こういった違いを無視して”平等”の一言で同じ扱いをしてしまえば、女性の待遇改善のはずが苦しみを産む原因になってしまうこともあります。

Q,現在、日本に住んでネットを見ているあなたも、海外で飢餓や戦争に苦しむ子供も、「生まれながらに平等に生きる権利がある」か??

日本で生まれた子どもの致死率と、途上国で生まれた子どもの致死率には、明確な違いがありますので現状、平等にはなっていません。
つまり、現状、平等に生きる権利がある状況ではありません。
では、これを改善するべきか。
目の前で苦しむ子供がいたら助けてあげたいという思いは、ほとんどの人が持っていると思います。
ただ、実際のところ、自分の生活を切り詰めて寄付するような人はほとんどいません。
口では平等といいながら、生きるという根本の権利の平等でさえ、積極的に貢献できている人はあまり多くはないのです。(もちろん活動されている方もたくさんいらっしゃいます)

さて、この問題については別の視点も確認して欲しいと思います。

日本に生まれると、飲み水に困ることはありません。
交通機関も整備されているため、大阪から東京へ行くのも数時間で行けます。
電気も月数時間程度の労働で使えるし、権利を守る法律や、警察・消防などの組織もあります。

これらは、誰が作ったか?

私たちの先祖です。
ご先祖様たちは先代が作ってくれた価値を代々引き継ぎ、それにさらに価値を上乗せして次の世代に渡してきてくれたのです。

一方、途上国ではどうか??
ご先祖様たちが引き継いでくれた価値はそこまで大きくありません。
田畑の整備をしていなかったり、医療知識が曖昧だったり、住居がすぐに壊れてしまったり。
すると、次の世代は価値をほとんど受け取ることが無く、また一から生活を作り上げます。
これでは豊かにならないのは当然です。

そう考えると、価値を積み上げてきた国だからこそ高水準の権利を手に入れられたのに、価値を増やしてこなかった民族や国にも同等のものがあるべきというのは、歴史・文化・精神の面から見ても違和感があります。

平等という言葉が一人歩きし、子どもも社会もおかしくなる

1万円札で有名な福沢諭吉は、著書『学問のすすめ』の冒頭でこのように言っています。
「天は人の上に人を作らず。人の下に人を作らず。」
この言葉ばかりが有名で、そのあと何が書いてあるか知らない人も多いと思いますが、福沢諭吉が主張したいのは、この一文ではありません。
このあと、「だから勉強しろよ!!」という内容が続きます。
人間が生まれたときは上下の区別などないのだから、学問に励んで人の役に立てというわけです。

平等という言葉にとらわれると、その人の今までの努力、提供してくれている価値、先祖の精神や努力を全て否定することに繋がりかねません。
それらが否定されるような教育を受ければ、当然、努力は無意味だと思い、「どうせ同じ扱いをしてもらえるのならラクをしよう」という心が育ちます。
真面目な生徒も不真面目な生徒も平等に扱われるのであれば、真面目でいることが馬鹿らしくなります。
そして、誰も進んで働かなくなり、クラスも学校も社会も廃れていきます。
先生たちは、無自覚な平等教育こそ、社会を壊し貧しくし、子どもを不幸にしていることを知って欲しいと思います。

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