【ボツ授業案】3限目|高校生に「宗教とのつきあい方」をどうやって教えるか

※一応つくりましたが微妙なので、再度考え直す予定です

>>2限目|宗教とのつきあい方 のつづき

1限2限と、宗教の概要について見てきました。
さて、復習です。
宗教とはどんなものでしたか??

・恐怖・不安・苦しみなどを和らげてくれるもの
・生き方の軸を示してくれるもの
・科学の外側、知覚できない領域のもの

では、世界にはどんな宗教があるんでしたっけ??

・ユダヤ教
・キリスト教
・イスラム教
・ヒンドゥー教
・仏教
・神道

世界中の人がそれぞれの宗教を信じることで、不安や恐怖が和らぎ救われています。
また、無宗教だから関係ないという人たちも、「科学という知覚できるものだけを突き詰めれば、不安や恐怖から解放される」と考えているのであれば、科学信者と呼べるのかもしれません。

さて。
ここで、少し私の宗教観を語りたいと思います。
本来、公立の学校では特定の宗教を教えることは禁止されていますが、あえて伝える理由は3つ。

・上辺の知識が少し増えただけでは生きた学問にならず、実生活が何も変わらないから
・『武士道』に「宗教を教えずに道徳をどうやって教えるのか!?」と書かれているように、道徳と宗教は完全に切り離せないから
・そうじ、あいさつ、集団行動、行事なども十分に宗教的な要素を含んでいるから

では、私の宗教観について、少しの間おつきあいください。

私の宗教観

人間は快楽の3倍、苦しみを感じやすいと言います。
ならば、意識なんて持たないで、岩のように無機物でいたほうが幸せだったのではないでしょうか。
でも、私たちは生きています。
意識を持っています。
それは、なぜでしょう??
この問いに正解を出せる人間はいないと思います。
なので、とりあえず、自分のなかでの結論はコレです。

精神の物質への“あこがれ”が、生き物として発現した

こう考えると、唯一絶対の神というのは精神全体のことであり、八百万の神は物質に関与した精神の一部。
人間のなかにも精神が宿るから、「死ねばみな仏」になる。

では、生きることとは何でしょうか。
それは、自身の精神を誰かに引き継ぐことである、と考えます。
人は心臓が止まったときに死に、忘れられたときにもう一度死ぬと言われていますが、私は自分の影響が残っているうちは、精神は滅びていないと考えます。

実は、この考えに至るには一つ段階を経ています。
私は22歳のときに腎臓の病気で死にかけており、今でも薬を飲まないと生きていけない身体です。
そして、あるとき、諸行無常とかニヒリズムの考え方を意識するようになります。
「所詮、人はいつか死ぬ。死んだらただの物質だけで何も残らない。」
でも同時に、こうも思いました。
「自分が死んだあとも、自分に関わった人たちが幸せであったらいいな」と。
だから、自分が磨いた精神を誰かに引き継ぎ、その人も次の誰かに引き継いでいけたら、こんなに嬉しいことはないと考えているし、影響が残っているうちは精神は滅びていないと考えます。

もう一つ自分の宗教観のポイントを紹介します。
“自分”という感覚についてです。

自分と他者の境界線はどこにあるでしょうか?
「肉体と肉体の物理的な距離」「意識や考えが別々に存在している」
この2つから、なんとなく身体とか脳のすぐ近くで境界が引かれます。

でも、こう考えることもできないでしょうか。

“自分”が長い時間家族と過ごしたらお互いに影響をしあう。
すると“自分”によって家族は変化し、家族によって“自分”も変化する。
ならば、家族も“自分”の一部ではないか。
“自分”と同じであると考えていいのではないか。
同じように、地域、国、世界、生物全てへと広がり、「自分の幸せ=世界の幸せ」「自分=精神全て」となるのではないか。

ただ、残念ながら、まだ、私の感覚は家族と友人までしか広がっていません(汗)

さて、これで終わりでもいいけれど、ちょっと宗教としては物足りない。
宗教ならば、実際に生きるときの軸が欲しい。
そこで、今まで私の行動原理を見てみました。

・他人の感情
・周囲の視線や評判
・金銭
・快楽
・法律

それぞれ、無意識のうちに行動の軸になっていました。
ただ、最近は金言をよりどころにするようになりました。

・義を見てなさざるは勇なきなり(『論語』より)
・たいていのことは笑いとばせる大きな男になりたい(マンガ『クローズ』より)
・九十九里のまがりくねった山道をどうやってまっすぐ進むか(月刊誌『致知』掲載の禅問答より)
・Win-Win or No deal(『7つの習慣』より)
・今、相手と死別しても後悔しないように行動する(マンガ『ギャングキング』より)
・魔法の言葉“せっかく”
・凡人は大病にでもかからなければ大成しない(『青年の大成』より)
・楽しんだもん勝ち
・苟に日に新たに、日日に新たに、また日に新たなり(『大学』より)
・兵とは詭道なり。(『孫子』p31)
・「四十九曲がり細山道を真っ直ぐに通れ」という公案もある。くねくねと幾重にも曲がりくねった山道を、真っ直ぐに通れというのだ。(『致知』2017/2号、p115)

全てが自分の生きる軸となっている金言です。
みなさんも、これを機に、自分の生きる軸となる言葉を腹にしまってみてはいかがでしょうか?

まとめ

ただ単に、自分が考えていることを全て書き出した感じです。
宗教についての前置きはしましたが、それでもうっとおしいし、流石にくどい。
しかも言い回しが難しくなってしまったところも多い。
これをちゃんと聞いてくれるのは私の信者となった人だけだろうww

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