「それも もっともだ」“素直な心”は二宮金次郎の物語から身につけた

<出典:wikipedia

2016年3月1日。
栃木県日光市今市地区の南原小学校に、二宮金次郎の像が建てられた。
二宮金次郎の銅像と言えば“薪を背負って歩きながら読書する像”。
しかし、南原小学校の像は“座って本を読む像”でした。

座って読む姿にした理由は以下のもの。

歩きスマホの危険性などが問題視される中、学校でも生徒に『ながら行動』しないように指導していると聞きます。こうした時流を考え、本を読みながら歩く金次郎の像よりも、座像の方が適切だと考えました。

これについては、賛否両論あると思います。
時代に合わせて変化するのは大切だけど、個人的には二宮金次郎の精神があまり伝わっていないようで寂しい気もします。

さて。
二宮金次郎の像の元となったエピソード。
“勤労”や“勤勉”を伝えるために良いとされていますが、私が感じたのは二宮金次郎の“素直な心”です。
今回は『代表的日本人』から、そのエピソードを紹介します。

二宮金次郎の少年時代

二宮金次郎(二宮尊徳)は1787年に生まれました。
父は貧しい農夫でしたが、金次郎が16歳のときに他界。
親族会議の結果、金次郎は父方の伯父の世話になることになりました。
金次郎は「できるだけ伯父の厄介になるまい」と考え、懸命に働きます。
しかし、まだ若い金次郎は、一人前の大人の仕事ができないことを嘆き、夜遅くまで仕事を続けました。
一方、「字の読めない人間にはなりたくない」との考えも持っていた金次郎。
孔子の『大学』を一冊入手し、仕事を終えた後の深夜に古典の勉強に努めます。
この姿を見た伯父。
金次郎にこう言います。
「自分にはなんの役にも立たず、金次郎にも役立つとは思えない勉強のために、貴重な灯油を使うとはなにごとか!!」
勉強する金次郎を叱りつけたのです。
これに対し金次郎は「伯父が怒るのも、もっともだ」と考えて、自分の油で明かりを燃やせるようになるまで勉強をあきらめました。
翌春から金次郎は空き地を開拓してアブラナを育て、一年後に油を手に入れました。
勉強を再開できる喜びとともに、「自分の忍耐強さと勤勉さを褒めてもらえるのではないか」という期待を抱いた金次郎。
しかし、伯父の言葉は違いました。
「おれが面倒を見てやっているのだから、お前の時間は俺のものだ。お前たちを読書のような無駄なことに従わせている余裕はない。」
金次郎は「伯父の言うことは当然だ」と思いました。
金次郎は言いつけに従い、一日の田畑の重労働が終わった後も、むしろ織りやわらじ作りに励みました。
それ以後、尊徳の勉強は、干し草や薪を取りに山に行く往復の道でなされました。

いやしい生まれの教養の乏しかった金次郎はその後。
さまざまな出来事を経て、小田原藩主に貢献し徳川幕府にも用いられるようになります。
そんな人物が、少年時代は伯父の言うことに素直に従っていました。
個人的には、このことが一番の衝撃です。

勉強をして怒られたのに「それはもっともだ」といって伯父に従う。
努力が実を結んだのに怒られて「もっともだ」といって伯父に従う。

少年といえどすでに16歳を過ぎていますから“我”があるはずです。
私なら間違いなく反発します。
いかに自分が正しいか主張してしまいます。
それを金次郎は「相手の考えにも理がある」といって受け入れる。
これは、なかなかできません。
“素直な心”を忘れた時には、このエピソードを思い出して、自分への戒めとしたいものです。




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