私が腹中の書としている本の一つに『青年の大成』があります。
著者は「昭和の黒幕」「歴代総理大臣の指南役」と言われた安岡正篤です。
安岡正篤の本は難しいものが多いですが、これは若者向けとあって読みやすい!!
しかも、読んでいて自然と背筋が伸びる名著です。
その中に、こんな一節があります。
肺病というものに心まで捕えられてしまって、いたずらに薬を飲んだり、入院したり、戦々兢々として、養生ばかりしたところで、それは“生”を養のうておるのではなく、それこそ文字通り亡骸を温存するに苦しんでいるのです。 病弱ということは、少しも勉強の障害にならない。 むしろ凡庸な人間、怠惰な人間、惰夫は、せめて病気ぐらいに罹らねば救われる機縁がないということも決して冗談ではありません。 |
私は、22歳で腎臓の病気となり3か月間の入院をしました。
その後、10年近く経つ現在も病院に通い続けています。
働き方も制限され、身体の様子を見ながら活動しています。
「大学の友達はみな順調にステップアップしているのに・・・」
そんな葛藤を抱えながら生活していたときに、この一節に出会いました。
振り返ってみると、病気にでもかからなければ、こんなに人生を考えることはなかったと思います。
仮に病気をしていなければ、現在も小学生に体育の授業をして、周りと同じように結婚し、目の前の仕事に追われ、なんとなく幸せな人生を歩んでいたでしょう。
まぁ、それはそれで悪くない。
ただ、間違いなく大成はしない。
病気にかかったからこそ、人生を考えるようになったし、自分の時間が増えて知見が広がった。
正直、大成するかどうかは、これからの自分次第ではあるけれど、間違いなくこれは言える。
「凡人である私は、大病にでもかからなければ大成はしなかった」
最近、気持ちがたるんでしまうことも多いので、ちょくちょく『青年の大成』を読み返したいと思います。
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