最初に少し質問です。
運動やスポーツとの関わり方はどんなものがありますか?
小学生の時は鬼ごっこやドッチボールをやったと思いますし、中学校で運動部に入っていた人もいると思います。
また、家ではテレビのニュースで誰かが金メダルを取ったのを見たりすると思います。
先生は、スポーツ教室で小学生にスポーツを教えていたりもします。
他にもいろいろな関わり方があると思うので、「する」「見る」「支える」に分けて、自分なりの考えを書いてみてください。
・・・
教科書では、「する」「見る」「支える」が書かれていますが、一応もう一つの関わり方。
運動やスポーツを「知る」というテーマでやってきます。
今回は、スポーツの歴史的発展と変容です。
スポーツとはなにか。
なぜ人は、家でだらだらするのではなく、スポーツをするのか。
そのあたりを、スポーツの誕生と変化を追って、考えていきたいと思います。
スポーツの始まりは、じゃれあいのようなものだと言われています。
猫がじゃれあうときに、本気噛みついたり引っかいたりすると、お互いにケガしたり、場合によっては死んでしまったりしまいます。
なので、相手をケガさせないように暗黙のルールが存在しています。
こういった、約束行動をメタコミュニケーションといいます。
メタコミュニケーションを調べると、言葉を超えたコミュニケーションとか、ジェスチャーや鳴き声などの言語外の行動も含まれるようです。
これ、実は子どもが使うの上手くて、例えばボール当てっこ。
ボールを持ってる子が他の子に軽くぶつける。
すると、相手が反応する。
やり返してくる可能性もあれば、避けて笑みを浮かべる場合もある。
言葉がなくても遊びが成立する。
そこには、言葉以外のコミュニケーションがたくさん含まれている。
そこで一つ質問。
言葉以外にもコミュニケーションの手段はたくさんあります。
目を合わせる、目を背ける、うなずく、笑顔を見せるなど。
これらを使うことで、コミュニケーションをより円滑に行うことができます。
発信するだけでなく、「今話しかけて大丈夫かな?」と相手の様子をうかがうのもメタコミュニケーションです。
さて。
じゃれあいのような行動が、スポーツのはじまりだと話しましたが、
スポーツは、すでに狩りをしていた時代から存在していました。
人間には、動きたいとか遊びたいという本能的な欲求があります。
小学生なんか見ていると、やたらと滑り台とか鬼ごっこを繰り返していたりしますね。
狩りの時代は、1日あたりの労働時間がたったの2~3時間で、残り時間は遊んでいたみたいです。
とはいっても、滑り台はありません。
なので、何をして遊んでいたと思いますか?
狩りをしていた時代にできることと言えば、
「やりがどこまで飛ぶか競争しようぜ」とか、
「水切りどれくらいできるかな」とか、
「あの段差ジャンプで越えられる?」とか、そんなもの。
でも、それが今では競技になっています。
たとえば。
原始的な遊びから、様々なスポーツが生まれたが、
文明が発達すると労働や遊びからさらに多くのスポーツが生まれました。
インドでは2000年前、猛獣を数人で囲み素手でとらえるという狩りがあった。
それをスポーツにしたのがカバディ。
町の中の運河を棒を使って飛び越えるという文化から生まれた。
さて、ここで質問。
この写真は何をしているもの?
・・・
14世紀ロンドンの民族フットボールの姿になります。
なんと、スポーツで死傷者が続出する事態に。
しかも、死傷者が大勢出るにもかかわらず、参加者が減らない。
それだけ、みんなスポーツに夢中というのも驚きです。
で、そんな事態に禁止令が発令されました。
19世紀になると、イギリスのパブリックスクールではルールを作り、民族フットボールを秩序のあるスポーツに変えました。
しかし、地域によって微妙にルールが違いました。
1894年のオリンピックをきっかけに、国際スポーツが広がる中。
日本はどうだったかというと。
日本にスポーツの概念が入ってきたのは明治時代でした。
明治時代以前は、祭礼行事としてのスポーツだったが、「競技、鍛える、教育」の目的でスポーツが取り入れられるようになりました。
日本のスポーツを学ぶ上で、超重要がいます。
それが嘉納治五郎。
柔道の創始者で日本の体育の父でもあります。
当時、古くさいと言われていた柔術を、大勢に受け入れられるよう柔道に作り替えます。
その後、東京オリンピック初招致を果たしました。
今日の話で、教科書の言葉の背景が分かったかと思います。
ちなみに、文科省では、スポーツを以下のように紹介しています。
いろいろ考えはあると思いますが、その話はまた別の機会に。
コメント