世界三大聖人が書物を残していないのはナゼ??

はじめに

釈迦、キリスト、孔子の3人をまとめて、世界三大聖人と呼びます。(ソクラテスを含めて世界四大聖人と呼ぶこともある)
彼らは、苦しむ人々を救うため、様々な活動をしていますが、不思議なことに誰も書物を残していません。
しかし、普通に考えれば書物に書き残したほうが、自身の思想が広まりやすく、より大勢を救うことができるはずです。

では、なぜ、書物に残さなかったのでしょうか??

世界三大聖人が書物を残さなかった理由

考えられる理由は4つ。

・文字を読めないような人々を救う活動をしていたから
・家に閉じこもって書くことより、行動することを重視したから
・誤って伝わることを危惧したから
・紙がなかったから

どれが正しいかは分かりませんし、もしかしたら他に理由があるかもしれません。
しかし、おそらく「誤って伝わることを危惧した」のがホントのところではないでしょうか。

例えば、仏教の戒律に”不飲酒戒”というものがあります。
お酒を飲んではいけないという決まりですが、これはおそらくパーリ語仏典に掲載されている次の話からきています。

ある日、酒を飲んでばかりいてどうしようもない男がいた。そこで釈迦は言った。
「お酒を一滴でも飲んだら、もっと飲みたくなって、止まらなくなるだろ!?だから、酒は飲んではいかん」

さて。
このエピソードは、弟子の捉え方によって大きく変わります。

「あ~、確かにその通りだ。だからお酒は一滴も飲んではいけないのだ!」
「あの男は飲んだくれていて仕方がなかったから、一滴も飲むなと言ったのだろう。仮にお酒と上手に付き合える者だったら、そのようには言わないだろう」

実際のところ、釈迦が何を思って発言したかは分かりません。
ただ、目の前の男を、より良い生き方に導きたかったことは確かでしょう。
そして、男の状況を見て、最も効果的な言葉を発したのではないでしょうか?

釈迦の発言は300年近く口頭で伝えられ、その後それをまとめた経典ができあがりました。
同じように、イエスキリストの死後、イエスの教えや言行がまとめられ『新約聖書』ができあがりまました。
孔子の言葉も、弟子たちが記録して『論語』という書物になりました。
そして、今でも世界中で苦しむ人々を救う道しるべとなっています。
しかし、同時に宗教による対立も生み出してしまいます。

宗教の対立・・・。

これは聖人たちが望んでいたことなのでしょうか?
それぞれの信者が誤って解釈をしているためなのではないでしょうか??
聖人たちは、教えが誤って伝わりマイナスの影響を与えることを危惧したのではないでしょうか??

個人的には世界三大聖人が書物を残さなかったのは、「伝える相手によってかけるべき言葉は変わるから、書物だと誤って伝わる可能性がある」が理由のように思えます。

みなさんは、どのように考えますか??

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 仏教や聖書や論語でも人間の欲望には勝てない!
    各宗教の派閥の多さが証明しています。
    宗教は両刃の剣です。

    • コメントありがとうございます。
      派閥の多さが欲に勝てないことの証明になるかは、私には分かりませんが、
      人間は欲望に勝てないというのは同意です。
      というより、欲を捨て去るようでは、生気のない生き方になる気がしますので・・・。

コメントする

目次
閉じる